2026/02/23
COMIC CITY福岡 63頒布
囚人ホンイサの短編です。イサンのためにミントコーヒー作りに挑戦するホンルの話。
イベント頒布価格 ¥400
Booth通頒価格 ¥500
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イサンさんはミントコーヒーが好きらしい。らしい、というのはダンテさんから伝え聞いたことだったからだ。セブン協会のイサンさんが、いつも喫茶店でミントコーヒーを頼んでいると知って、囚人としての……こっちのイサンさんにも聞いてみたら、よく飲んでいる、と言っていたそうだ。
コーヒーを淹れるときには、それなりの器具がいるはずだけど、そんなものイサンさんの部屋にあったかな、とこれまでの記憶を辿ってみる。
――うーん。思い出せない。
というより、浮かんでくるのはイサンさんの表情ばかりで、それ以外のものがあんまり記憶に残っていない。いつも僕が淹れるお茶を美味しそうに飲んでくれるけど、やっぱりコーヒーの方が好きなんだろうか。
最近、イサンさんと過ごすときには、僕がお茶の用意をすることが多い。別に特別な理由とか、規則があるわけではないけれど、一人で飲むには余るくらいの茶葉があって、僕が「一緒に飲みませんか」と誘ったら、イサンさんがそれを断らない。
ただそれだけだ。今日は茶ではなく、コーヒーが飲みたいとは言わない。
イサンさんは、僕が差し出した茶杯を受け取って、口をつける前にきちんと香りを確かめてから飲む。そうして少しだけ目を細めて、味の感想を言ってくれる。
香りが好きだとか、果実の風味付けがちょうど良いとか。
その一連の流れを、僕は割と気に入っていたし、とても好ましい時間だった。
〈――うん、ミントコーヒーが好きなんだって。私は飲み物の味とか、文字通りわからないんだけど……ミントとコーヒーって合うのかな?〉
ダンテさんはそう首を傾げていたけど、あまり一般的でない組み合わせなのは確かだ。ミントコーヒーをメニューに掲げている喫茶店もあまり見たことはない。
イサンさんにも行きつけのカフェチェーンとか、コーヒーショップがあるんだろうか?
LCBでは時々、翼が管理する区内やその近くの比較的治安の良い裏路地にバスを停めて、各々買い物や食事などの自由行動をする時間がある。今度、イサンさんに連れて行ってもらおうかな。
◇
「――イサンさん、一緒にコーヒーを飲みに行きませんか?」
数日後、久々に訪れた自由行動の時間で、僕は早速、イサンさんに声をかけた。
イサンさんは物珍しそうに目を丸くした後、首を傾げる。
「あな、物珍し」
「イサンさんがミントコーヒーが好きだって、ダンテさんから聞いたんです。だから、僕も飲んでみたくて……」
そう聞いたイサンさんは花が綻ぶように笑う。
「承知せり。然れども、まことにミントカゥヒィで良きかや?」
念を押すように重ねて確かめてくるものだから、僕は何度も頷いた。
「はい、それがいいんです。僕、そんなに信用ないですか?」
「ホンル君は信頼に足る人物なり。然れど、以前ドンキホーテ嬢が試し時は、苦し辛しと……」
苦し辛し……? コーヒーが苦くて、ミントが辛い……ということだろうか。
ミントの風味が苦手な人は、確かに「辛い」と感じるのかもしれない。
「イサンさんの好きな味を僕も知りたいんです。――駄目ですか?」
イサンさんの瞳をじっと見つめる。こうやって目を合わせて、少し不安そうに声を揺らせながら頼むと、彼は困惑しながらもだいたいのお願いは聞いてくれる。
ちょっとずるい方法かもしれないけれど、使える術は使わないと。
「さらば、共に往かむ」
イサンさんはそう頷くと、カフェが建ち並ぶ通りへ歩みを進める。
だけど、コーヒーショップやカフェの前を通っても、イサンさんはちらりと店内を見ると、入る素振りもなく素通りしていく。
そして、イサンさんが立ち止まったのはコーヒーの専門店……ではなく紅茶、コーヒーの他にも幅広く品を取り扱うカフェだった。
「……ふむ。此の店であれば……」
イサンさんがそう呟いて、中に入っていくのに僕も続いた。
店内は多種多様な種類の飲み物を出しているだけあって、コーヒーだけでなく、紅茶やハーブティーの匂いなどが混ざり合いながら漂っていて、なかなか癖が強い雰囲気だ。
内装も様々な地方の文化が入り交じっていて、古めかしいポスターの横に、僕がいたH区でよく見られる掛け軸が下がっている。壁に隙間を作ることは悪だと言わんばかりに、熊なのか犬なのか見分けが付かないぬいぐるみや、木の人形、幾何学模様のクロスが飾られていて、フェイクグリーンの蔦と葉がその隙間を縫うように埋めていた。
イサンさんが『持ち帰り専用』の札が掲げられたカウンターに向かうと、店員がメニューを広げる。
僕もそれを覗き込んでみると、そこには細かい文字がこれまた隙間なく紙を埋めている。優柔不断な人が見たら、頭が爆発してしまいそうなほどの情報量だ。
どこからがコーヒーで、どこからが紅茶……? いや、これはチャイの欄みたいだ……などと目を彷徨わせていると、イサンさんが僕が見ていた方とは反対側の文字を指し示した。
――『ミントコーヒー』
「是を二つ、賜りたく」
「ミントコーヒー二つ、テイクアウトですね」
店員がそう言って、コイントレーを差し出す。イサンさんがそのままの流れでお金を支払おうとするのを慌てて止めた。
「あ、僕が出しますよ」
すると、イサンさんは首を振る。
「支障なし。いつも茶を給うる謝意なれば、私が払わん」
まさか、イサンさんに奢って貰うことになるなんて、と思ったけど、彼がそうしたいなら、と財布をコートのポケットに戻す。
「――なら、ご馳走になりますね」
そう素直に彼の好意を受け取ると、イサンさんは満足そうに微笑んだ。
しばらくすると、店員がクラフト素材の紙カップに入ったミントコーヒーを二つ運んでくる。カップを受け取ると、飲み口からコーヒーの芳ばしい匂いに混じって、ミントの独特な匂いが香っていた。
店から出て、少し歩くと開けた広場に出る。
広場の真ん中には噴水があって、時々間欠泉のように水が大きく噴き上がる。水浴びをしていた鳥がそれに驚いて一斉に羽ばたき、近くで遊んでいる子供は反対に楽しそうなはしゃぎ声を上げていた。
「あ、あそこのベンチに座りましょうか」
空いているベンチを見つけて、並んで腰を下ろした。
ちょうど良い木陰にある金属製のベンチは角の塗装が少し剥げていたが、座面は綺麗で汚れることはなさそうだ。
「では、いただきますね、イサンさん」
「うむ……」
早速、コーヒーを一口飲んでみる。最初は予想通りコーヒーの味。
そう思っていたら、少し遅れてミントの清涼感が鼻に抜ける。不思議な感覚だ。
ホットコーヒーなのに涼やかな感覚がするからだろうか。
ミントの味がコーヒーの苦みと喧嘩してしまうのでは、と思っていたけど、ミントの風味は穏やかで、意外と飲みやすい。
お茶やハーブティーは心を穏やかにするとか、リラックス効果があると言われるけれど、これは逆に苦みと清涼感で頭がシャキッとしてスイッチが入る感じだ。
集中力を上げたい時とか、眠気覚ましにぴったりかも。
「気に入り給ふか? ホンル君」
イサンさんはまだ自分の分は飲まず、僕がミントコーヒーを飲むのをじっと見つめていた。眉尻が少し下がっていて、ちょっと不安そうだ。
「はい、ちょっと好みが分かれる味、というのはわかりますけど、僕は好きですよ」
そう返すと、イサンさんは目を細めて安堵したように息を吐いた。
「然り、其れならば良き。私も初めて訪れし店なりて、些か不安なれば」
「そうだったんですね。まあ、いかにも個人経営って感じのお店でしたね」
イサンさんが言うには、ミントコーヒーを扱うお店はやはり少ないらしい。
正確に言うと、特にミントを常備しているコーヒー店、というのが少ないと。
逆にコーヒーの専門店よりも、ハーブティーを同時に扱っているお店の方が、ミントティーと併せてミントコーヒーもメニューに入っていることが多いそうだ。
「――なるほど、そういうことだったんですね」
イサンさんは一通り僕に説明し終わると、自分の分のミントコーヒーを飲み始める。いつものお気に入りの味を確かめるように、口に含んで、嚥下する様にいつの間にか釘付けになっていた。
目を閉じて、まるでお気に入りの音楽を聴いているようにゆっくりと味わう姿。
その横顔は、僕が初めて見るものだった。
同時に、胸の中に言い知れない靄々が湧き出してくる。
なんだろう、これは……敗北感のような、いや、嫉妬?
あるいは、あの店の偏執的なまでに隙間のない雑多な店内を作り上げた、名も知らぬ何者かに対する、一方的で独りよがりな対抗心。
「私の顔に、何かありしや?」
イサンさんの声に、ふっと我に返る。僕はその場を誤魔化すように笑った。
「――いえ、イサンさんに見とれてました」
「……揶揄う様なことはやめたまえ」
目線を逸らしながら口を尖らせているけれど、黒髪の間から覗く耳が少し赤く色づいている。
本当ならその耳輪を指でなぞって、もっと反応を見てみたいところだけれど、一応街中だし、イサンさんを困らせてしまうから、自重しておく。

